さて昨日、こんなツイートをしました。
人の死って、本来慣れちゃいけないモノなんだと思う。
「まだ(患者が亡くなるのに)慣れてないの?」
と、先輩に怒られたことがある。感情を抑えて、仕事に支障を出さない練習はできる。
でも、新人看護師さん。
人の死に慣れるは必要ないからね。— なすびー@看護師辞めてブログ書いてる人 (@vtvp1nZNidQj2Kq) May 14, 2019
ちょっと文章間違ってましたね。
人の死に慣れる「必要はないからね」って書きたかったんです。
それはそうと、私がこの言葉を言われたのは、新人看護師時代のことでした。
今日は、『看護師は患者さんの死に慣れるべきなのか?』について思ったことを書いていきたいと思います。
そもそも、『死に慣れる』って恐るべきパワーワードだね。
Contents
看護師が患者さんの『死に慣れる』べきと言われる理由
そもそも、看護師が患者さんの死に慣れなければいけない、と言われる理由は何でしょうか。
「患者さんの前で泣くな」と、看護師は学生の頃から言われますよね。
『看護師が泣く』とどんな不利益が生じるのかというと、以下です。
・看護師が泣くことで業務に支障が出る
・看護師が泣くと、亡くなった患者家族の見送りの妨げになる
・看護師が泣くと、他の患者さんにも不安を与える
・感情移入をしすぎると、看護師自身がもたない
以上の理由から、看護師は泣くべきでないと言われます。
例えば、亡くなった患者さんにどんな思いがあるにしろ、看護師がその場でわんわん泣いてご家族が患者さんとお別れする時間を邪魔するなど、あってはならないことです。
感情をコントロールする技術は、一朝一夕で身に付くものではないですが、看護師という仕事に欠かせない技術のひとつです。
看護師は患者さんの『死に慣れる』必要があるのか?
しかし、感情をコントロールすることと、患者さんの死に慣れることって別物ですよね?
そもそも、『死に慣れる』って何ですか?
じっくり考えてここに書こうとしたのですが、私にはわかりませんでした。
看護師として働けば働くほど、大勢の患者さんを看取ることになるでしょう。
他の患者さんの受け持ちもする以上、患者さんの死を仕事の一環として受け入れ、他の仕事に支障をきたさないようにする技術は必要です。
でも、それは『死に慣れる』とはまた違いますよね?
『死』って、慣れることができるものではないのではないでしょうか。
そして、もし慣れてしまったとしたら、それは良くないことのような気がするのです。
看護師は『死に慣れろ』と簡単に言われるけれど
そもそも『死に慣れる』なんて、簡単に使っていい言葉じゃないと思います。
初めてお看取りをする新人看護師の皆さんは、想像していた『お看取り』と現実に隔たりがあるかもしれません。
患者さんの死が日常として流れていくことにも、違和感を飲み込めないかもしれません。
患者さんの死が看護師にとって、身近で日常的なものにならざるを得ないのは確かです。
ですが、患者さんとそのご家族にとっては、人生で一度しかない瞬間です。
大切な人との別れが永遠になる、たった一回しかない瞬間です。
その『死』に『慣れろ』というのは、あまりに短絡的で、横暴ではないでしょうか。
看護師は患者さんの『死に慣れる』必要はない
以上の理由から、なすびーは患者さんの死に慣れる必要はない、また慣れてはいけないと思います。
だから、新人看護師さんは、『患者さんの死に慣れなければ』などと、必要以上に気負う必要はありません。
その方の人生の終着点を、ただ見守る、そしてご家族に静かに見守ってもらうお手伝いをするだけで良いのです。
ただ、繰り返しになりますが、「それに伴う感情の揺れ動きが、他の仕事に支障をきたさないようにする訓練は必要だ」とも、同時に思います。
泣いてしまってどうしても気持ちが整わないなら、トイレでも休憩室でも少し休んで泣き顔を少しでも整え、他の患者さんに不安を与えないようにする配慮などは必要です。
患者さんは亡くなった方だけではありません。
あなたの手を待っている患者さんは他にもいるわけですからね。
その勤務が終わるまで踏ん張る力は、育てて損はない力だと思います。
最後に
新人時代に言われた「患者さんの死にまだ慣れていないの?」という言葉が、看護師として7年働き、そして辞めた今でも心に引っかかっていました。
自分と同じ思いをしている看護師さんが納得できるような文章を書きたかったのですが、なんだかあいまいな文章になりました。
自分でも、まだよく理解できていないのかもしれません。
『人の死』は、たかが30歳が答えを出すには重すぎるテーマです。
今後もじっくり考え続けて、また答えのようなものが出たら、リライトしていきたいと思います。
読んでくださってありがとうございました。