看護師という職業は、死が身近にある数少ない職種のひとつですよね。
人は誰でもいつか必ず死にます。
患者さんを看取りながら、ふと「自分はどう死にたいか?」について考えたことがあります。
皆さんはありますか?
しかし、「自分の死について考えている人って、けっこう少ない……」と感じたので、今日はそのことを記事にしたいと思います。
生き方と同じくらい死に方も大切
死に方って、生き方の延長だと思うのです。
その人の生き方が死に方を決めるんだなと思ったことが、お看取りをする上で何度もありました。
家族を大切にしてこなかった人には誰にも面会も来ません。
ICの日程を組むために電話をかけても、「都合がつかない」、「そもそも行きたくない」と話されたご家族もいらっしゃいました。
新人時代、急変時にご家族に電話させて頂き、
「このような状況なので、すぐにいらしてくださいますか?」
とお伝えしたら、
「死んだら行くのでまた連絡ください」
と言われて切られたことが、今でも鮮烈に残っています。
新人の頃は、家族なのに来ないなんて冷たいな、ひどい家族だなとしか思えませんでした。
しかし、家族関係が良好で食べるのにも困ったことがない私のような人間には想像もつかない、悲惨な出来事を抱えている家族もあります。
患者本人の生き方が家族にそうさせるのだ、と飲み込んでからは、それにもやもやし、自分が傷つくこともなくなりました。
でも、時々ふと「死んだら行くので」というあの言葉と声の冷たさがよみがえることがあります。
死に方への無関心が気になる
こんな風に生きたいと考える人は多くても、こんな風に死にたいと考える方って少ない気がします。
前述の通り、死に方は生き方の延長だと思うのですが、自分や家族の死を当たり前のこととしてとらえていない方って、想像以上に多いのでは? と感じたことがあります。
当たり前に最期の時は近づいてきます。いつまでも目を背けたままではいられません。
ここで、実際に私が言われた言葉をご紹介。
100歳を越えていよいよ食事摂取量が少なくなってきた患者さんの食事介助を見て、
施設から病院へ入院することになり、半年前に面会されたのが最後というご家族から、
施設から来られた入院当初から寝たきりの、そろそろ眠られている時間も長くなってきた90歳越えの患者さんのもとに面会に来たご家族が、
と訊いてきたこともあります。
慌ててICをセッティングすると、
「病院にくれば誰でも歩けるようになって帰れるもんだと思っていた」
と、本当におっしゃっていました。
病院に魔法使いはいません。
その時が来たら、いずれ少しずつ食べられなくなって、歩けなくなって、眠っている時間が長くなっていきます。
それが自然な流れです。
そうやって自分もいつかは死ぬし、家族もそうです。
いざという時のことをあらかじめ考えておかなければ、その場ですぐに受け入れるのは難しいし、限られた時間を大切に過ごすことが出来なくなることもあります。
人間はいつ死ぬかわからない
ホントこれ。
私は友人を2人亡くしています。『最後に』に書いていますが、早すぎる死でした。
事故ではなく病気だったので、2人とも自分の死を受け止めて後悔なく旅立ちました。
そう断言したいけれど、後悔なく、なのかは正直本人にしかわかりません。
もっとやりたいこと、やり残したことはあったでしょう。
いざ、彼らを前にして、気の利いた言葉のひとつも出てこない自分が呪わしかったです。
2人の死をきっかけに、私も自分の人生を繰り返し見直しています。
皆さんは、今の生き方で、後悔することはありませんか?
生き方を変えられるのは、自分だけです。
より良く生きて死ぬためにできること
長年働かなければいけないからこそ、働く場所というのは大切です。
働く場所の良し悪しが、人生を良いものにするか悪いものにするか決めるのではないかとも思います。
今の職場に不満があるならば、転職を考えるのもひとつの手だと思います。
そのような記事もありますので、参考にしてみてください。
最後に
上に少し書きましたが、今年31歳になる私は20代の友人1人、30代の友人1人を、がんで亡くしています。
若すぎる、早すぎる死でした。
正直、この年で家族以外の身近な人間が2人も亡くなるなんて思ってもみませんでした。
人はいつ死ぬか本当にわかりません。
そして私がもし今死ぬことになったら、後悔することはたくさんあります。
自分の死に方を考えたら、それに向けて今生きている環境を見直すきっかけになるかもしれない。それを伝えたくて、今日の記事を書きました。
働きたい場所で働き、やりたいことをやり、満足だこれでもう後悔しないと思って生きることができればベストなのでしょう。
後悔のない人生を実現できるように私も頑張るし、皆さんもそうなれることを祈っています。